2ヶ月ほど前になりますが、9月18日付けの読売新聞に「旧ソ連空母 軍事利用の懸念」という記事が掲載されていました。この記事を要約すると、中国の大連港に5年以上にわたり係留されていた旧ソ連の未完成空母「ワリヤーグ」が、中国軍によって軍事利用される懸念が強まっているという内容です。
日露戦争では、巡洋艦「ワリヤーグ」(もちろん、艦船名以外はまったく別の船です)は仁川沖の海戦において損傷し自沈、後に引き揚げられ、宗谷として日本海軍に編入(1905年)。その後、第1次世界大戦勃発によって、協調関係(日露協約)にあったロシアに返還(1916年)され、再び「ワリヤーグ」となるも、ロシア革命に伴って回航途中のイギリスで抑留、1925年に同国で解体されるという運命を辿りました。
こうして見るとなんだか「ワリヤーグ」は過去も現代も不遇な印象がありますが、「宗谷」であったときは練習艦隊としてたびたび遠洋航海に出るなど活躍しており、さらに南極観測船として有名な「二代目宗谷」は現在も一般公開されていますから、たかが「名前が変わっただけ」にしては、なんとも不思議な巡り合わせです。(FH)
2007年11月24日
2007年11月18日
「正露丸」の話
日々の忙しさで,旬を失ってしまいましたが,07/11/12のMSN産経ニュースにて,胃腸薬「正露丸」が今年,100年ぶりに自衛隊の装備品に復活したとの報道を目にしました。
「正露丸」は,「忠勇征露丸」改め「正露丸」です。 日露戦争2年前に,衛生状態の悪い外地での感染症予防のために開発され,日本軍の装備携行品になりました。 開発は,陸軍軍医学校説,大阪の薬商説等があります。 日露戦争終結後の,1906年に日本軍の装備品からはずされ,名前を改め,日本の代表的家庭常備薬として知られています。 今回は,大幸薬品の「セイロガン糖衣A」として,防衛省の装備品として採用されたもので,今年3月のネパール派遣の際に自衛隊員に配給されたと報道されています。
「征露丸」の商品名は,日露戦争開戦前という時代背景から,露国征伐と将兵の士気高揚の意味を併せて命名されたと言われています。 なお,Wikipedediaには,奈良県の日本医薬品製造株式会社だけは現在も「征露丸」の名前で販売を続けているとあります。(Yo)
「正露丸」は,「忠勇征露丸」改め「正露丸」です。 日露戦争2年前に,衛生状態の悪い外地での感染症予防のために開発され,日本軍の装備携行品になりました。 開発は,陸軍軍医学校説,大阪の薬商説等があります。 日露戦争終結後の,1906年に日本軍の装備品からはずされ,名前を改め,日本の代表的家庭常備薬として知られています。 今回は,大幸薬品の「セイロガン糖衣A」として,防衛省の装備品として採用されたもので,今年3月のネパール派遣の際に自衛隊員に配給されたと報道されています。
「征露丸」の商品名は,日露戦争開戦前という時代背景から,露国征伐と将兵の士気高揚の意味を併せて命名されたと言われています。 なお,Wikipedediaには,奈良県の日本医薬品製造株式会社だけは現在も「征露丸」の名前で販売を続けているとあります。(Yo)
2007年11月07日
昭和レトロ
映画「続・三丁目の夕日」の封切の為か,昭和回帰が話題となっています。
例えば,DeAGOSTINIの週刊昭和タイムズが創刊で44万部,岩波写真文庫の復刻版の出版,大分県の「昭和の町(豊後高田市)」で見られる町興し等々である。
一方で,2009年のNHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」がクランクインとしたとのこと,ブームとなることを期待しています。(Yo)
2007年11月05日
教科書問題に思う
太平洋戦争末期,沖縄の「集団自決」に関する教科書記述が問題になっています。11月1日,2日には検定意見が付いた高校教科書の発行元である教科書会社5社中の4社が文科省に訂正申請したとの報道がありました。残る1社も近々申請するだろうとされています。
集団自決問題や検定の是非については,ここで述べるだけの知見を持ち合わせていませんが,検定制度は戦後日本だけの特殊な制度ではなく,ドイツなど欧米でも見られようです。アジアでも(表面上はともかく)実質的な官僚介入が行われている国も多いようです。
ところで,朝日新聞では「歴史は生きている 東アジアの150年」と題する大型企画を連載中ですが,その第3章「日露戦争と朝鮮の植民地化」(上)の『教科書を比べる』(2007年8月27日付朝刊)では次のような表が載っていました。
これを見ると,国によってかなりの温度差があることがわかります。これはおそらく執筆者個人の思想よりも,国の姿勢が投影された結果と見て間違いないでしょう。
しかしいずれにしても教科書に書ける分量にはかぎりがありますから,その中で学んだことだけがすべてではないと知るべきです。むしろ学校教育が終わってからの「勉強」をどれだけするかに,個々人の教養の幅がかかっています。いつの時代にも良質の教養書が求められている所以です。
100余年が過ぎたとは言え,私たちが「日露戦争」に学ぶことはたくさんあります。いまやっているアーカイブ整理・編集などの作業も,「良質の教養書」づくりにつながるという想いが原動力になっています。(GEN)
集団自決問題や検定の是非については,ここで述べるだけの知見を持ち合わせていませんが,検定制度は戦後日本だけの特殊な制度ではなく,ドイツなど欧米でも見られようです。アジアでも(表面上はともかく)実質的な官僚介入が行われている国も多いようです。
ところで,朝日新聞では「歴史は生きている 東アジアの150年」と題する大型企画を連載中ですが,その第3章「日露戦争と朝鮮の植民地化」(上)の『教科書を比べる』(2007年8月27日付朝刊)では次のような表が載っていました。
| 日露戦争 | 朝鮮の植民地化 | |
|---|---|---|
| 日本 | 見開き2ページ。国際関係に重点 | 約1ページ。抵抗運動も |
| 中国 | 記述なし | 記述なし |
| 韓国 | 経緯も含めて5行 | 植民地の影響も含めて51ページ |
| 台湾 | 5行。立憲運動との関係に重点 | 「世界史」部分で4行 |
これを見ると,国によってかなりの温度差があることがわかります。これはおそらく執筆者個人の思想よりも,国の姿勢が投影された結果と見て間違いないでしょう。
しかしいずれにしても教科書に書ける分量にはかぎりがありますから,その中で学んだことだけがすべてではないと知るべきです。むしろ学校教育が終わってからの「勉強」をどれだけするかに,個々人の教養の幅がかかっています。いつの時代にも良質の教養書が求められている所以です。
100余年が過ぎたとは言え,私たちが「日露戦争」に学ぶことはたくさんあります。いまやっているアーカイブ整理・編集などの作業も,「良質の教養書」づくりにつながるという想いが原動力になっています。(GEN)
2007年10月29日
「戦争」と「外交」
『坂の上の雲』がトリガーになって,私たちは数年以上にもわたって日露戦争の実態に迫ろうとさまざまな資料を渉猟しています。そうした中で,「戦争とは何か」という疑問がますます強くなってくるこのごろです。「道なお遠し」といったところです。
ところで,政府は今月26日に今年度の文化勲章授与者とともに文化功労者15人を発表しましたが,その中に塩野七生氏が含まれていました。塩野氏の愛読者にとってはたいへんな朗報です。たぶん1992年から昨年まで全15巻の『ローマ人の物語』を刊行したことが主な受賞理由になったようです。
この「大作」も愛読していますが,その七巻「悪名高き皇帝たち」の中には,
戦争は、武器を使ってやる外交であり、外交は、武器を使わないでやる戦争である。
という記述があります。塩野氏らしい定義だと感心すると同時に,この表現には深い内容が含まれているように思います。こういう観点から日露戦争を捉えていくことも,ぜひやっていきたいと思っています。(GEN)
ところで,政府は今月26日に今年度の文化勲章授与者とともに文化功労者15人を発表しましたが,その中に塩野七生氏が含まれていました。塩野氏の愛読者にとってはたいへんな朗報です。たぶん1992年から昨年まで全15巻の『ローマ人の物語』を刊行したことが主な受賞理由になったようです。
この「大作」も愛読していますが,その七巻「悪名高き皇帝たち」の中には,
戦争は、武器を使ってやる外交であり、外交は、武器を使わないでやる戦争である。
という記述があります。塩野氏らしい定義だと感心すると同時に,この表現には深い内容が含まれているように思います。こういう観点から日露戦争を捉えていくことも,ぜひやっていきたいと思っています。(GEN)
2007年10月26日
日露戦争アーカイブズ
好古らの陸軍大学校に着任したとき、その堂々たる威厳にドイツ軍
人の典型を学生たちは見たが、その容貌は禿頭赭顔で多少滑稽であったため、学生たちは、
「渋柿おやじ」
と、ひそかにあだなをつけた。(坂の上の雲,第一巻,PP220より)
メッケルである。
その他,坂の上の雲では,個性的な人物が,すがすがしい著述で多数紹介されています。
各人がどんな顔形をしていたか? 風采は?
...百聞は一見にしかず。 アーカイブ作成の動機付けとなりました。(Yo)
2007年10月23日
デジタルアーカイブ
昨今,各界で,デジタルアーカイブの作成が盛んです。
手段は各グループで異なりますが,いずれもデジタル化によって,オリジナルを保存しようとする活動です。
日露戦争の時代は,ちょうど写真が記録媒体として普及しはじめた頃で,
小川一真のコロタイプ印刷と相まって,良質な印刷画像が多数残っています。澪標のアーカイブは,古書店主の所蔵するこのような日露戦争関連資料が元ネタです。デジタル化した画像は,既に,250GHDDに納まりきらず,セカンドハウスを準備しなければならない状況となっています。
昨今のPCの高速化を期待し,最近の高性能3Dゲームよろしく,大量のデータをなめ回し,いろいろなメディアで資料の公開を目論んでいますが,...(Yo)
2007年10月20日
テロ特措法
テロ特措法について,賛否両論があり国論を二分する形になってしまいましたが,もとを糾せば,海上艦船への燃料の補給に関することだと思います.日露戦争中も,バルティック艦隊への燃料補給の問題があり,1902年に締結された日英同盟により日本の同盟国となった英国は特産の無煙炭の供給を日本に限り,同艦隊への石炭補給活動はドイツの船会社が一手に引き受けて之を行っていたようであります.日露を取り巻く英国,仏国,独逸の関係から軍事行動の鍵を握る燃料補給を考え見ると,燃料が石炭から石油に替わった事,日本が燃料を補給する立場になった事,更に日本の命運を賭けた戦いと国際協調のテロ防止活動への協力の違いわあれ,日英同盟と日米安保条約の中で比較してみるのも一興かという思いに駆られます.
又,テロ特措法の正式名は122字にわたる日本一長い法律名だそうで,最初の案では,わずか(?)66字の名称だったものが,こんなに長い名前になったしまい,さまざまな思惑が行き交ったためということで,それだけでも興味がわきます。しかし日露戦争時代にこの様な長文の法律名を考える人がいたでしょうか?何か可笑しいと思えてなりません.正式法律名は「平成十三年九月十一日のアメリカ合衆国において発生したテロリストによる攻撃等に対応して行われる国際連合憲章の目的達成のための諸外国の活動に対して我が国が実施する措置及び関連する国際連合決議等に基づく人道的措置に関する特別措置法」だそうです.<Yoshi>
又,テロ特措法の正式名は122字にわたる日本一長い法律名だそうで,最初の案では,わずか(?)66字の名称だったものが,こんなに長い名前になったしまい,さまざまな思惑が行き交ったためということで,それだけでも興味がわきます。しかし日露戦争時代にこの様な長文の法律名を考える人がいたでしょうか?何か可笑しいと思えてなりません.正式法律名は「平成十三年九月十一日のアメリカ合衆国において発生したテロリストによる攻撃等に対応して行われる国際連合憲章の目的達成のための諸外国の活動に対して我が国が実施する措置及び関連する国際連合決議等に基づく人道的措置に関する特別措置法」だそうです.<Yoshi>
2007年09月28日
日露戦争の賜物(!?)企業年金制度
福田政権が発足しましたが,まさに内憂外患,厳しい船出であることはたしかです。内政の最大の課題は何といっても年金問題でしょう。早期解決を国民のだれもが見守って期待しています。
年金は,公的年金である国民年金・厚生年金とは別に,企業が私的に設ける企業年金というものがあります。さいきん知ったことですが,この企業年金が日本にはじめて登場したのは日露戦争終結の年,1905(明治38)年だったそうです。当時の鐘淵紡績(現在はカネボウからクラシエホールディングスに変っています)が日露戦争特需で業績が向上したことを背景に,社員の福利厚生を充実するための一環として企業年金制度を導入したとのことです(9月24日付日本経済新聞)。戦争に特需はつきものですが,それを長期的視野で考えたところは,当時の経営者(「温情主義」で知られる武藤山治氏)の慧眼と言えるでしょう。
また,こうしたことを知るにつけ「日露戦争はいまとは関係ない過去のできごと」と単純に片付けることはできないことをあらためて実感できます。(GEN)
2007年09月17日
開設の辞
長期にわたって「日露戦争アーカイブズ」のサイト更新が停止しており、私たちの活動を応援してくださる方をはじめ、皆様に大変ご心配おかけしましたが、まもなく更新を再開いたします。
「日露戦争アーカイブズ」の企画もまだまだ道半ば。じっくりと腰を据えて取り組んで参りますので、歩みはゆっくりしたものになるかもしれませんが、今後ともよろしくお願いいたします。
また、この機会にブログも新設いたしましたので、こちらもご覧いただければ幸いです。
「日露戦争アーカイブズ」の企画もまだまだ道半ば。じっくりと腰を据えて取り組んで参りますので、歩みはゆっくりしたものになるかもしれませんが、今後ともよろしくお願いいたします。
また、この機会にブログも新設いたしましたので、こちらもご覧いただければ幸いです。
制作者一同
posted by 澪標の会 at 23:51| 開設の辞